【シンポジウム報告】自然を活かした防災減災を考える
「災害とは何か ~『防災』ではなく『減災』を目指す~」(河田 惠昭)
シンポジウム『自然を活かした防災減災を考える』
沿岸の自然のしくみを理解し、自然のちからで明日をひらく
2016年2月28日(日)、日本自然保護協会はシンポジウム「自然を活かした防災減災を考える」を開催しました。当日お越しくださった約50名の参加者の方々とともに、自然のしくみを理解し、防災減災に自然のちからを活かすために、今後必要なことについて考えました。4名の方の基調講演に加え、6名でのパネルディスカッションでは、パネリスト同士の質疑や議論もあり、さまざまな視点から、これからの防災減災について話し合うことができました。 今回は、開催報告第一弾として、会場からの反響の大きかった、河田惠昭さんの講演の抜粋要約をご紹介します。
災害とは何か~『防災』ではなく『減災』を目指す~
河田 惠昭(阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター長・関西大学社会安全学部教授・中央防災会議・東日本大震災地震津波対策専門調査会座長)
災害対策の基準が変われば、災害は起きる
今、社会には自然災害に対する誤解があります。「災害」は自然現象だと思っている研究者・国民が多いのですが、自然現象が起きても被害がなければ「ハザード(hazard)」といいます。カナダの山奥で雪崩が起こっても被害がないでしょ? これは「ハザード」です。人のいるところで起きて被害がでるようなものは「ディザスター(disaster)」と言います。「災害」というのは社会現象なんです。科学的に解決できる自然現象ではなく、人びとの価値観に関係する非常に社会的な問題であることを、まず理解しなくてはいけません。
それから、災害の外力、気象や海象、地象といった「ハザード」が、変化しつつあることをきちんと理解する必要があります。これは皆さんご存知のように、地球温暖化がひとつあります。雨の降り方が変わり、台風が変わる。
去年9月に鬼怒川があふれ水害が起こりました。鬼怒川は南北に流れている川で、その治水計画は、山に降った雨を4つのダムで流量コントロールするというものでしたが、去年は線状降水帯が鬼怒川に重なり、南の方から雨が降り始めたんです。そして川下から水位が上がった。その時上流のダムは、実は7割しか水が溜まっていませんでした。そして、もっと降るだろうということで放水してたんです。そうしたら、利根川との合流地点からおよそ22キロ地点で水があふれた。これまで想定していなかったような雨の降り方をしているということなんですね。
今、変化が顕在化しているのは、気象や海象などですが、必ず地象も変化する。地震だって変わる、ということです。予想外のことにも思いを馳せないと、また思いもよらないところで被害がでます。基準が変われば、従来の災害に対する考え方が役に立たなくなるんです。ですから、これからは、「起こることを前提としたレジリエンス」をやらなくてはいけません。
起こることを前提に考えるのがレジリエンス
レジリエンスを考えると言うのは、災害を起こさないように努力するだけでなく、『起こってからのことも考える』ということです。起こることを前提にしなければ、起こってからのことは考えられません。
例えば今、唯一の安全神話が東海道新幹線にあります。「東海道新幹線は50年間事故起こしてない」と言いますが、これは何のコトはない、東海地震が起こってないだけの話なんです。JR東海に「事故が起こったらどうするのか?」と聞いたら、「事故が起こらないように努力している」と言いました。事故が起きてからのことは考えてないんです。
だけど、例えばイギリスの高速列車『ヒースローエクスプレス』は、各扉の横に緑色のハンマーが設置してある。車両に閉じ込められたらそれで窓ガラスを割って逃げろ、ということです。つまり『高速列車は事故を起こす』という前提で運用しているんです。
東海道新幹線にハンマーなんかないでしょ? 閉じ込められたら出られないんです。どうしたらいいのか? と問えば、JR東海は「事故が起こらないように努力してる」って。それでは咬み合わないんです。
災害防止のための対策というのは、やればやるほど安全になる、と、みんな錯覚してしまうんです。原子力発電所もそうでしょ? ずっと対策をやってきたんです。やればやるほど安全になると思っていた。でも前提が変わったら、そんな対策は何の役にも立たない。それに気づかないといけないんです。レジリエンスは、まず、起こることを前提にしているんです。
まちづくりの一環として考えるべきだった防潮堤
東日本大震災の後につくられた『津波防災地域づくりに関する法律』は、93年の北海道南西沖地震の後の奥尻島の復興まちづくりに失敗したことを教訓にしてつくりました。
奥尻島はなぜ失敗したかというと、人口流出が止まらないんです。北海道南西沖地震の津波で被災した奥尻島の青苗地区に行くとステキな街があるんです。でも、人がいない。港や住宅などのハードは整備はできたんですが、肝心の若者が、仕事がないのでみーーんな札幌や東京に行っちゃうんです。人口は3分の2になってしまった。復興のためのお金はあったんです。でも結局、街全体が寂れてしまった。これは、当時の法律にも問題があって、土地区画整理事業法で宅地を畑にするなど土地の値段が下がるような換地ができなかったこともあります。
だから、東日本大震災の後、私たちの復興構想会議ではそれをできるようにした。防潮堤だけで守るのではなく、背後地をどう利用するかも含めて考えて、津波で人の命がなくならないようにしよう、というねらいがありました。
三陸では、過去400年間でだいたい平均37年に一回津波が発生していますが、これは、明治三陸津波や東日本大震災の時のような大きな津波とは発生のメカニズムが違います。明治三陸津波や東日本大震災のような津波は、そんな頻繁に起きる津波ではない。そんなたまにしか起こらない津波に備えてまちづくりをしてしまうと、海の近くに住めない、ということになります。ですから、そのような巨大津波に対しては避難をすることで命は助かるようにしよう、ということだったのです。しょっちゅう起こるような津波でしょっちゅう逃げるのは大変だから、それは海岸施設で守ったらいいじゃないかと。でも、いつかそれを越える津波が必ず来るから、その時は避難することで命は助かるようにしようという趣旨で、この法律をつくった。だけど、自治体は理解していないというか……。
本来は、まちづくりと一体で防潮堤づくりも考えなくてはいけないんです。復興まちづくりは非常に時間がかかります。そりゃそうです。まず生活再建ができないと復興まちづくりはできないんです。だから非常に時間がかかる。
しかしそうすると、日本は極端に縦割り社会ですから、防潮堤をつくる連中が待ってられない、ということになる。だからそれを先行させて、岩手県のようにほとんどの地区で10mを越えるコンクリートの屏風みたいな物をつくろうとするようなことになってしまった。
そんなものをつくれって言ったんじゃないんですよ。私は、東日本大震災の後、地震・津波対策の見直しを検討してきた中央防災会議専門調査会※の座長です。でも、そんなものつくれなんて一言も言ってないんです。そういうふうに、地方の自治体が勝手に考えてつくっている、ということなった。
※平成23年4月、中央防災会議に設置された「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」
国土強靭化は誤訳? 本当のナショナルレジリエンスとは?
本来のレジリエンスというのは、起こさない努力をするとともに、起こったらどう早く復旧させるかを念頭に置いて進めなくてはいけないということです。レジリエンスは、一言で言うのが難しい。表にあるように非常にたくさんの意味のある、深い意味のある言葉です。図で表せば、図のグランドピアノのような部分(R)を小さくするということです。私は、これを日本語で「縮災」と名付けました。
「減災」というのは被害を小さくするための対策です(図中D)。減災Dと縮災Rがどう違うのかというと、縮災のRを小さくする要素として、回復時間Tと、コミュニティの力が入っている。このコミュニティの力が、本来のナショナル・レジリエンスです。「ナショナル・レジリエンス(National resilience)」という言葉を日本政府は「国土強靭化」と訳しています。日本政府は、「National」をいつも「国土」と訳しますが、本来は「国をつくるみんな」という意味です。だから、国土強靭化では英文和訳としては0点です。本当は「みんなの縮災」と訳したらよかったんです。本来、レジリエンス・縮災というのは、国民運動なんです。でも、みんなそれは国交省の仕事だと思っているんですね。社会資本整備をしたらいいと思っている。それは、この誤訳が問題なんです。
今後必要となる被害対応のガイドラインとタイムライン
災害対応というのは、地震・洪水・高潮それぞれ違うのかと言うとそうではなくて、だいたい80%位は共通の対策ツールがあって、訓練によってスキルがアップします。今、中央防災会議専門調査会のワーキンググループでツールの共通化の作業を3年くらいかけてやろうということで動いています。残りの20%は、現場力で対応しなければいけない。場合に応じた現場の力がやはり必要です。
そして現場の力を高め、対応していくために地方都市での地震対応のガイドラインをつくりました。地震が起こる前後でやらなきゃいけないことは基本的に280項目あります。とても一人でできるものじゃないんですよ。大勢をプロモートして、システマチックにやらなくてはいけない。これがまだ、なかなか理解されていません。
それから、災害対応のためのタイムラインというものを、まずは、全国の一級河川109水系で導入しました。情報がなくても現場が対応できるようにするためです。アメリカでもタイムラインは導入されています。ハリケーンが上陸する時間を0アワー(hour)として、この0アワーの時に、現場に警察官・州兵・消防士がいてはいけないんです。日本は、東日本大震災で消防団員254人が亡くなりました。津波が来る0アワーの時に現場にいたんです。避難しない住民をなんとか避難させようとした時に津波が来たんです。アメリカは0アワーの時には現場にいてはいけないという法律をつくっています。そして、36時間前には避難勧告を出すことになっています。今の日本の避難勧告は、せいぜい数時間前です。これでは、首都圏で100万人単位なんて逃げられないですよ。でもそんなこと、今までに起こってないから、考えてこなかったんです。
今回、各一級河川にタイムラインが設定されることになりました。これから河川ごとに、自治体などを含む関係者で、災害時に情報がないときにはこうする、って決めていくんです。それをやらないと、大きな災害ほど情報の共有が遅れるんです。何をやっているかわからない状態が一番困るんです。最悪の被災シナリオが必要なんです。自分たちでそれを考えないといけないんです。そうでないと他人事になってしまう。そして、最悪の被災シナリオを考えると対策の優先順位が分かります。
部分最適・全体調和から、全体最適へ
日本は何かと縦割りですから、それぞれのところで一番良いことやったら全体がなんとかなるだろうっていう部分最適・全体調和がこれまでのやり方でした。でも、これからは、そうはいかない。全体調和じゃなくて、全体最適もやらなきゃいけないんです。
コンクリートで15mの堤防つくったら、他もなんとかなるかって、ならないんですよ。陸前高田では、堤防より海側に鎮魂の森の松林をつくろうとしている。これでは町から鎮魂の森が見えません。コンクリートの壁が見えるだけです。なんでそんな設計やるんだって、人のこと考えてないからですよ。防潮堤のことしか考えてない。まちづくりの一環で防潮堤をつくらないといけないのに、部分最適になっちゃってるんです。コンクリートで高くすればするほど安全になるって、そんなことない。人が住めなくなってしまう。それが分かってないっていうんですね。
本来的にレジリエンスというのは、「災害などのリスクが顕在化し、市民生活や社会システム、自治体や企業、事業体の全部あるいは一部が停止しても、全体としての機能をすみやかに回復できるしなやかな強靭さ」と言う意味です。強靭化の意味を誤解してはいけないんですね。全体最適に持って行かなきゃいけないんです。そういう点で、防災と自然環境保護というのはつながるところがある。
ラインで守るなんてことをやってはいけないわけです。面で守るためのゾーニングをやらなくてはいけない。多重防御というのは、面で守ろうとするものです。堤防だけで町を守るなんて、不可能なんです。その町をどういう風に利用するかって検討する中で、どのような防潮堤を整備していくか、ということが問われている、ということです。
●開催報告第二弾では、清野聡子さん(九州大学大学院准教授)の講演「自然を活かした防災減災と沿岸管理の課題」の抜粋要約を紹介予定です。
●会報『自然保護』2016年3・4月号特集「自然災害とどう向き合うか」では、河田惠昭さんに執筆いただいた「コミュニティの力で縮災を目指す」を掲載しています。 https://www.nacsj.or.jp/katsudo/kaiho/2016/02/201634no550.html