木曾ヒノキの森の視察に行ってきました。(前編)
こんにちは、広報・編集部の増沢です。
10月25日~27日の3日間、中部森林管理局の方の案内で木曾のヒノキの森に視察に行ってきました。
古くからヒノキをはじめ優良な木材の産地として知られる木曽地方(飛騨南部、東濃地域)には、今も樹齢300年ほどのヒノキが数多く残る森があります。
このヒノキは、戦国時代から江戸中期に無計画な伐採が進んだ後に江戸幕府などの禁伐対策の元で、自然に更新(世代交代)した再生林だと考えられています。
標高は1000~1500m程度で温帯にあたるのですが、温帯にこれだけの天然のヒノキの仲間の針葉樹林が残っている場所というのは国内ではほかにありません。
今回は、この森を今後どのように守っていくかを検討するための視察となりました。
初日の10月25日は、まず長野県木曽郡王滝村、御岳山のふもと「旧神宮備林」の瀬戸川風致探勝林に向かいました。
かつての森林鉄道の跡の林道を歩き、森の中へ進みます。
「神宮備林」は、伊勢神宮の御用材を供出する森のことです。20年ごとに行われる式年遷宮(社殿の造り替え)に材を提供できるよう、古くからヒノキの保護育成が行われてきました。
1回の遷宮に必要になる木は1万本以上と非常に大量です。
伊勢神宮の御用材を供給する森は、かつては伊勢神宮周辺の神路山、高倉山などでしたが、ヒノキの枯渇により、第34回式年遷宮(1380年)以降は三河国、美濃国などの地域へ順次変更され、現在に至るといわれています。
最後の砦ともいえる木曾地域でも資源の枯渇が懸念される現在、長期的な視点に立った保護施策が必要不可欠なのです。
森には、過去の伐採を免れたヒノキの巨木が今もあちこちに残っていました(右写真)。
次に向かったのは王滝国有林の「群状択伐実行箇所」。
30m四方でヒノキの成木を切った試験区が並びます(右写真)。
今はコストのかかる植林ではなく、天然更新を目指している木曾ヒノキですが、木曾一帯のヒノキは樹齢が200~300年とそろっているため、高齢となった樹木が順次倒れて更新していくといった通常の森でおこる「倒木更新」がなかなか進まないといわれています。
密生したヒノキ林の中は暗く実生(みしょう・発芽したばかりの苗)が育ちません。かといって、木を伐りすぎると地表が乾燥しすぎたりするので、やはり実生が育ちません。
場所によってはササが林床を覆い、木を倒しても地表まで明かりが届かないこともあります。どの程度の間隔でどう高木を伐採し、ササにどう対処すればヒノキが順調に更新するのか、試行錯誤が続いています。
伐採カ所については、市場価値の高い優良木があるところを選んでしまわないよう機械的に線を引き設定したとのことでした。
←見るとササが刈られて明るくなった場所には、小さなヒノキの赤ちゃんたちが。(でもこれでも10歳くらい!天然のヒノキは、スギなどに比べると成長がとても遅いそうです。)
切り株の上は、ササに覆われない特等席です。切り株の上に定着した実生を、視察中あちこちで見かけました。
かつて斧で伐採していた頃の切り株は、断面が不ぞろいで水がたまりやすく、朽ちて苔むし、実生も定着しやすかったのだそうですが、チェーンソーで切ると、平らな断面となりなかなか腐らず、芽生えが出にくいのではないかというお話もありました。
←長野県西部地震(1984)で大崩壊を起こした御嶽崩れの復旧治山状況も見せていただきました。土石流が流れ完全に破壊された谷底の植性は、地元長野県だけでなく、下流域にあたる愛知県のボランティアの方々の協力を得て植林が進められ、だいぶ回復しています。
<次の記事→中編に続く・・・>