「川・海との共生 ~これからの利水・治水を考える~」で聞いたお話
保護プロジェクト部の安部です。
11月7日に名護博物館にて開催されたシンポジウム「川・海との共生 ~これからの利水・治水を考える~」シリーズの「海岸防災と環境保全について」に参加しました。
平日の夜にもかかわらず名護博物館ギャラリーに30名を超す参加者がありました。市民団体はもちろん、役所の職員や名護市民や名護市以外の市民の出席も多数あり、多くの人がこのテーマに関心を持たれているようです。
→写真:30名を超す参加者。沖縄県北部土木事務所や名護市環境政策課環境条例担当者の姿も見られます。
講師は琉球大学の仲座栄三教授(なかざえいぞう・海洋工学)です。講演は最初に日本の沿岸の現状から始まりました。その講演内容の一部をご紹介します。
←写真:講演者の仲座先生(専攻:海岸工学)
「日本の沿岸にはどこも構造物(漁港、護岸、道路など)がつくられてしまい、自然海岸はほとんど残っていません。そのため砂浜の連続性が遮断されています。
写真:沖縄の楚洲の離岸堤→
離岸堤がつくられる時代が10年間ほど続きました。工事としては成功したのではないかという評価を受けていたものの、景観上に問題があるので、次は人工リーフの時代となりました。人工リーフとは防波堤を海面下に埋める方法ですが、効果がないのに費用だけがかさんだこの方法は消えていったそうです。こうした工事で日本の沿岸はずたずたになっています。沖縄の沿岸も例外ではありません。
←写真:フレア護岸(沖縄県北部)
そして日本中、海岸線ぎりぎりまで構造物を作り、そこに人を住ませてしまったという大失敗をしてしまっています。」
なぜ沖縄(日本)はコンクリートに優しいのか、ハワイと比較しながらお話しは進みました。
「ハワイの町並みと沖縄の町並みを比べると、後者の方がコンクリートが多いです。学校を見ても、ハワイの学校は建物がコンクリートでも視界のどこかに山の緑などが入るようになっているが、日本ではそうではない例が多く見られます。公園を例にとってみても、宜野湾市のトロピカルビーチとハワイのビーチパークを比べると、前者の方が圧倒的にコンクリートが多く目に入ります。
また、ハワイではセットバックレギュレーションという規則で、海岸沿いの土地には構造物はつくれません。つくるとしても公園などの公共のもので、人が住むことは許されていません。つまりハワイ(アメリカ)の都市計画の方が、100年くらい進んでいることがわかります。興味深いことに、米軍基地を多く有する沖縄島でも、米軍基地の中の都市計画はアメリカ仕様でゆったりとした土地利用が行われているのに、周囲の沖縄の人々が住む場所は日本仕様となっていて、狭いところにコンクリートの住宅がいっぱいに並んでいます。
ハワイでも1990年頃までは沿岸の埋め立てが行われていました。有名なワイキキのビーチがハワイにおける最後の沿岸の埋め立てであったと思います。ワイキキビーチは明らかなる失敗例なのですが、ハワイはこれを最後の教訓として、海沿いには公共の施設しか置かないことにしています。
日本の海岸工学の論文を見ると、1974年あたりから研究がなされているのですが、その頃は海、石油、タンカーなどのテーマが多く占めています。1980年代後半あたりから、ウミガメやカブトガニと言った話が出てきて、人々が日本で沿岸生態系の大事さに気づきました。
ところが、その1980年代後半よりもずっと前である、1960年より前に沿岸に構造物はどんどん建てられていました。つまり、今ある構造物は海岸の大切さに気づく前にできていたということです。
沖縄の海辺のあり方は、今考えるべきときです。戦後50年間、日本(本土)の標準断面を用いて沖縄の海に護岸をつくってきましたが、そろそろ沖縄の方法というものが必要です。沖縄らしい、構造物ありきではない対処方法を県民で議論していかなければなりません。人が住む集落をもう少しセットバック(=後ろに移動)させるしくみづくりが必要です。
沖縄には本当の意味での自然海岸はほとんど残っていません。沖縄の砂浜を見て良いと思う私たちや観光客は、自分が立っているところしか見えていません。いわば森の中で木だけ見ているようなものです。
現在の状況をきちんと把握し、残っているものをどうするのか、コンクリートで固めるのか、あるいは守っていくのか、そのためにはどうしたら良いのか、みんなで考えなくてはなりません。」
以上が仲座先生のご講演の概略です。
沖縄の人たちが、沖縄の沿岸をどうしていくか、議論していく大きな第一歩となったのではないかと思います。
←写真:司会進行をしつつ質問もする名護博物館の村田さん。