4月13日に「~沖縄の美(ちゅ)ら浜をいつまでも~」開催しました。(1)
保護プロジェクト部の安部です。
4月13日に名護市の大西公民館で開催したセミナー「~沖縄の美(ちゅ)ら浜をいつまでも~」のご報告です。
最初に、北限のジュゴン調査チーム・ザンの鈴木雅子さんの挨拶から始まり、第1部の基調講演として清野聡子先生(九州大学)に「砂浜の連続性(エコトーン)について」と題して、今まで行われてきた海岸の工事の方法には限界があったということを、「河口閉塞」を例にしてわかりやすく説明してくださいました。
======清野先生のお話======
「河口閉塞」、いわば川の腸閉塞ですが、これは必要があって起こっていることなのですが、良くないイメージがあります。また昔は植物の力を借りて、つまり植物が砂や土砂を固定してくれることを利用して、防災を行ってきたのですが、この方法だと砂は移動を続けることになります。
このように砂がふらふらしたり、土砂がたまっている状態を人間が許せないようになり、それを抑えるような工事をしてきたのが近年の河川海岸の工事の方法です。
ですが、それは極力自然のままにしないようにということでもあり、どこの川も真っ直ぐになってしまうなど日本の古来の景色が姿を消してきました。
砂がふらふらするのは当たり前で、微妙な造形として砂浜は存在します。しかしながら、日本人にはどんどん、もともとの海岸がどういう場所だったのか、自然の海岸がどうなっているのかを見る力がなくなってしまいました。
旧暦の3月3日は浜下り(はまうり)という行事が行われる日で、沖縄の各地で海岸を歩く人が多いです。これは年に1回海岸観察をする機会です。春に海底を歩いてみて、泥だらけだったり、生き物がとれなかったりしたら、なんでだろう?と思うことでしょう。
文化を受け継ぐため、祭りを続けていくためには、砂浜に十分に砂があることが大事です。そして、ご先祖から受け継いだ自然を年に1度観測するシステムが続いているということは沖縄の大事な風習です。
嘉陽海岸は他では見られなくなってしまったものを多くもつ貴重な海岸ですが、その1つに京(少し離れた小さな島)があります。このような小島がある海岸は他にもありますが、季節により前の小島に渡れたり渡れない日があって面白いねということを、文化のなかから再度拾い直し、それをうけつぐことが重要です。
天童よしみの「珍島物語」という歌に、春の大潮のときに陸と小島がつながり、向こうで遊んで帰ろうと思ったところ帰り損ねる、というようなことが歌われていますが、こうした歌は各地にあります。
それから沖縄の工事が大きい理由をご存知でしょうか?台風が来るから、という説明がなされることが多いと思いますが、それにしても大きすぎると思われることでしょう。奄美大島や北海道もそうなのですが、工事が大きくなる理由の1つに、国庫補助率が他地域より高いということがあります。地元負担が少ないということで、工事の規模がどんどん大きくなってしまいました(例:浸食対策、高潮対策)。
例えば、元手が1万円あるとすると、本土では国から1万円の補助を受けて2万円の工事が可能となりますが、沖縄ならば国から9万円の補助金を受けて10万円の工事が出来ます。沖縄の人が幸せに暮らせるようにと沖縄振興があると思うので、本当は事業の中身を見るときに「沖縄らしさ」が審査に加わるようなしくみがあれば良かったのにと思います。
しかしながら、サンゴ礁や干潟の海岸に対応した海岸技術の検討が遅れてきたということもあり、本土と同じ形での大規模な工事が沖縄でもどんどん進められることになってしまいました。
そのようななか、嘉陽海岸のように、地域の自然にあった工事が行われていることは画期的です。お城を作る技術を石工さんが今まで持ち続けてきたことも、沖縄ならではの素晴らしいことです。
コンクリートが開発されてからは、コンクリートで固める方法を取るようになってきましたが、コンクリートがない時代は、石が隣の石と形が合うよう石工さんが丁寧に加工をするという、ひと手間をかけてきました。地域により石の積み方も異なっています。
工事の決定のプロセスに市民が参加できなかったから海岸がおかしくなってきた時代から、今は参加したり選択したり提案できる時代となっています。情報とは「そこに暮らしてきたさまざまな人々の昔からの智恵」にあります。また参加できる時代とは自分たちが責任も一部もつことも指します。沖縄県全体のビジョンを決めることが必要です。
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パネルディスカッションの様子は次の記事にてお伝えします。