エコロジーという言葉(やさしくわかる自然保護 番外編)
月刊『自然保護』No.444(2000年3月号)に掲載された、村杉事務局長による自然保護に関する基礎知識の解説を転載しました。
自然保護に関する考え方や概念それに用語など、基礎的なデータベースとしてご活用ください。各情報は発表当時のままのため、人名の肩書き等が現在とは異なる場合があります。
やさしくわかる自然保護 もくじ
エコロジーという言葉 ~創唱者 エレン・スワローとその時代~
現在、エコロジーは2つの意味に使われている。1つは1866年にドイツのヘッケルが提唱した生態学を表す言葉、もう1つは1892年にアメリカのエレン・スワローが提唱した環境保全をめざした社会運動としてのエコロジーである。
今日、後者のほうのエコロジーはブームとなっており、エコライフ、エコツアー、エコビジネス等々、「エコ」を冠したニューワードが氾濫しているが、この言葉の創唱者のスワローや、言葉が生み出された背景についてはあまり知られていないので、この場をかりて簡単に紹介しよう。
アメリカはマサチューセッツ州生まれのスワロー(1842~1911)は、1871年にマサチューセッツ工科大学に最初の女性として入学、卒業後は化学の教官となって母校で、研究と後進の指導にあたった。
アメリカといえども、当時は「女性には高等教育など不要」という風潮が強い時代である。女性に対する偏見や社会的差別と戦いながら、彼女は精力的に研究を行っている。初期の研究テーマは水問題を扱った環境科学であったが、次第にその幅を空気・食物と広げ、後にそれらを統合した家政学を、独立した学問としての水準に引き上げている。
スワローは、ヘッケルが提唱するエコロジー(Oekologie)の語源であるギリシャ語のOekosが「すべての人の家」であることを知り、その家(=環境)を望ましいものにしようとする社会運動にこの語をあてたのである。1892年のボストンでの講演で彼女はこのことを提唱している。
時代は第二次産業革命が進行し、アメリカが大量生産・大量消費の社会になりつつあった。スワローは今からおよそ1世紀前に、日々進歩する科学技術によって、環境がテクノロジーの手に渡り、その結果として遅からず環境問題が生じることを察知していた。
「この方向はこれからも続くに違いない。だから私たちは身のまわりの環境の状態と変化に対してなんらかの制御力をもたなければならない。そのための唯一の方法は、男性は職場で、女性は家庭や地域で、子どもは学校で環境をよい方向に制御できる資質を身につけることである」と、環境学習の大切さを訴えている。
しかし、彼女の主張はアメリカの現代化の波に飲み込まれ、科学技術は十分な環境への配慮がないまま発展を続けていった。
アメリカのエコロジー運動は1960年代、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の出版を機に大きくなったが、この時の運動は70年前のスワローの思想を受け継いだものだったのである。
スワローはカーソンが高校生のころに世を去っており、2人は相見ることはなかったが、実はカーソンが学んだ大学1)、研究の場とした海洋研究所2)のいずれもがスワローと縁があったところである。2人は時代を越えて、見えない糸で結ばれていたのかもしれない。
スワローの時代から1世紀が過ぎ、環境問題は地球規模に広がってしまったが、私たちは今一度先達の声に耳を傾ける必要はないのだろうか。くわしくは下記の文献をどうぞ。
(村杉幸子・NACS-J事務局長)
注1)ジョンズ・ホプキンス大学……スワローたちの運動で医学部に女性の入学が許されたり、彼女の弟子が教鞭をとっている。
注2)ウッズホール海洋生物研究所……前身のサマーシーサイド研究所はスワローによって開設された(1881)
<参考文献>
ロバート クラーク著、工藤秀明訳『エコロジーの誕生』新評論(1994)