リニア中央新幹線環境影響評価準備書に対する環境保全の立場からの意見
リニア中央新幹線環境影響評価準備書に対する環境保全の立場からの意見(PDF/700KB)
代表取締役社長 山田 佳臣 殿
公益財団法人 日本自然保護協会
理事長 亀山 章
リニア中央新幹線環境影響評価準備書に対する環境保全の立場からの意見
東海旅客鉄道株式会社(以下、JR東海)が進めているリニア中央新幹線は、先行区間(東京~名古屋間)で1都6県、全事業計画区間(東京~大阪間)では1都2府8県にまたがる近年稀にみる大規模開発事業である。また、世界自然遺産登録やユネスコエコパークへの登録を目指す南アルプス国立公園などの山岳地域から東海丘陵要素をはじめとする里山環境など多くの生物多様性保全上重要な地域を貫く事業である。
日本自然保護協会では、地形・地質などの基盤環境、自然保護、生物多様性保全などの観点からリニア中央新幹線環境影響評価準備書を点検、評価した結果、以下に示すような問題点があることから、本事業をいったん凍結し、再度事業位置選定を含めた手続きをやり直す」ことを強く求める。
また、国土交通省には中央新幹線小委員会を再度招集し、事業の必要性、安全性を含めた議論をやり直すことを求める。
問題点1:いくつもの活断層を横切る本計画は人命を軽視した計画であり看過できない。
JR東海の公開した準備書では、「活断層はできるだけ避けるよう計画しやむを得ない場合はできるだけ短く通過する」とされている。しかし、断層が動いたときに、地盤の変位を止めることは現在の土木技術では不可能で、活断層の活動はトンネル構造物に被害をもたらす。東海道線の丹那トンネルでは、1930年の北伊豆地震時に丹那断層が変位し大きくずれ、建設中であったために掘り直しを行った。2004年の中越地震では、上越新幹線の魚沼トンネルで数センチ程度ではあったが活断層が動き、トンネル内の壁が崩落した。
準備書に示されたルートには、藤野木-愛川構造線、曽根丘陵断層帯、木曽山脈西縁断層帯、伊那谷断層帯、阿寺断層帯、屏風山断層帯、糸魚川-静岡構造線や中央構造線以外にも、鶴川活断層、扇山活断層、伊勢原活断層、赤河活断層などが存在している。
2011年3月11日の東日本大震災以降、日本列島はどこで地震が発生しても不思議ではない地震活動期に入った現状(気象庁見解)にある。人命をあずかる公共交通機関として、鉄道走行中に断層帯が活動することは想定範囲内として計画をするべきで、数m規模でも動く可能性がある活断層は当然だが、構造的な弱線等も回避することが原則であろう。
地形・地質は自然の基盤環境であり、日本ではとくに地震やそれに伴う崩壊、地すべりの影響を大きく受け、それを繰り返すことで形成されてきた。日本の生態系は、このような特異な基盤を前提に成立している。鉄道のようなインフラ整備においても、日本の自然環境の特性に併せた計画実行が必要である。
問題点2:南アルプスの隆起量の評価は科学的に誤っており、「工事中はもとよりその後の維持管理においても問題はない」という記述には根拠がない。
環境影響評価の準備書資料編の「5 南アルプスの隆起量について」(静岡県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県)の冒頭に書かれている2点、1)「我が国における、隆起や沈降は少なくても数10万年程度の間(中略)一定の変動様式と速度で進行しており、将来的にも同様の傾向で継続」、2)その分析方法には「測地学的手法・地形学的手法・地質学的手法がある」は了解できる。しかし、5-1から5-5には以下のような問題点があり、この準備書は、不十分で、誤った環境影響評価であるといわざるを得ない。
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①議論に相応しいデータが用いられていない。
ここで示されたデータは、3手法のいずれも、全国規模の大まかな図で、発表時期が古いものが含まれている。南アルプスの隆起速度を議論する場合は、中部地方程度のスケールで、最新の情報を元に議論すべきである。
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②地殻変動の様式やメカニズムが示されていない。
環境影響評価の準備書資料編「5 南アルプスの隆起量について」(静岡県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県)では、地殻変動量(年間の平均隆起速度)の数値は示されているが、地殻変動の様式やメカニズムが示されていない。どのような運動の結果によって地殻変動が起こったのかの解釈が示されていなければ、地殻変動量の平均値や累積量を正しく評価したことにはならない。
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③トンネルでありながら、地表面の侵食を想定した隆起量を採用している。
環境影響評価の準備書資料編「5 南アルプスの隆起量について」(静岡県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県)の表5-4-1では、100万年を超えるスケールでの平均隆起速度は2〜4mm/年と書かれているが、これは根拠としている図5-3-1、赤石山脈や飛驒山脈の隆起速度の侵食がある場合の数値を採用したものである。図5-3-1では侵食がある場合(実線)と侵食がない場合(点線)の両方が書かれており、リニア中央新幹線は南アルプスの侵食の影響を受けない地下をトンネルで通過するので、侵食がない場合の数値、4〜6mm/年(日本の地形総説、東京大学出版会2005)で影響を評価するべきである。
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④「変位が累積するものではない」という解釈は誤りである。
環境影響評価の準備書資料編「5 南アルプスの隆起量について」(静岡県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県)」5-5では、「この隆起を主体とする変動は周辺の変動地域と連続的に発生するものであり、周辺領域との間で隆起速度と同等の変位が累積するものではない」と書かれているが、意図が理解しかねる。前段は、地殻変動は周辺地域でも起こっているという意味であればその通りではあるが、東側の富士川の谷や西側に伊那谷とは隆起速度が大きく異なり(図5-1-1〜図5-2-1のすべての図はこのことを示している)、それが累積されるから南アルプスは高さ3,000メートルを超える山脈になっているのである。したがって「隆起速度と同等の変位が累積するものではない」という記述は誤っている。
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⑤「工事中はもとよりその後の維持管理においても問題はない」という記述には根拠がない。
上記の記述は、④で指摘した山地の地殻変動について誤った理解にもとづいて導き出された結論である。
多くの活断層や破砕帯が山体内部を走る南アルプスの地殻変動量は場所による違いが大きく、曲隆も、全体としては平均4〜6 mm/年であっても部分的にはもっと大きな値を示す可能性もある。したがって南アルプスを横断するトンネルは常に断層変位や隆起による地殻変位によって破壊される危険を有していると考えるのが妥当である。
問題点3:生物多様性への影響の回避措置が科学的に妥当ではない。
本準備書のクマタカ・オオタカ・ノスリに対する環境影響の低減措置について、人工巣の設置が挙げられている。「猛禽類保護の進め方改訂版」(環境省、2012年)では、生物多様性基本法の基本原則や2010年に開催された生物多様性条約第10回締約国会議で採択された戦略計画を受け生物多様性保全の更なる充実が必要となっている背景でありながら、開発事業と摩擦が依然として危惧され、かつ生息や生態について情報が蓄積しつあるイヌワシ、クマタカ、オオタカの3種を中心に 、各開発行為に際しての保全措置検討のための考え方を明らかにしている。この指針でオオタカについて、人工代替巣の設置事例が挙げられているが、「保全上の評価は確立されていない」と指摘されている。また、クマタカの営巣中心域での保全措置は原則回避、とされている。このように最新の知見において妥当性や評価が確立されていない方法を保全措置としている本準備書の記載は科学的に妥当とはいえない。イヌワシ(天然記念物、種の保存法の指定種、絶滅危惧種)については静岡県側で事後調査を行うとされているが、南アルプス一帯では、長野県側でも繁殖ペアが確認されており行動圏は広範囲である。イヌワシにとって、本事業が行動を変化させる可能性がある以上、長野県や静岡県という県境にとらわれず事後調査を行うべきである。
また、希少植物種については移植が挙げられているが、こうした方法も科学的な裏付けが乏しく、本準備書の生物多様性保全への影響回避の措置が科学的に妥当かの評価を行うことはできない。環境への影響を低減する措置については科学的に検討しなおす必要がある。
問題点4:山梨実験線での失敗が検証されていない。
リニア中央新幹線の山梨実験線の延長工事では、少なくとも3か所で水道水源が枯渇している。しかし本準備書では、地下水文環境に与える影響範囲の予測に、実験線の事例を反映せずに、「高橋の水文学的方法」(昭和37年)を用いている。同じ枯渇現象を引き起こさないためには、実験線の延長工事の際に影響を予測した方法を公表した上で検証し、なぜ枯渇を予測できなかったのかを明らかにした上で、今回の影響予測を行うべきである。
リニア中央新幹線のルート近傍にある東海丘陵要素のシデコブシやシラタマホシクサ等が立地している小規模な湿地群は、土岐砂礫層と陶土層の組み合わせと、地形的な要因から特異的に形成された湿地群で、水文環境がわずかに変化しただけで、環境を維持できなくなる。こうした環境への影響を極力避けるためにも、地下水への影響に関しての予測はやり直すべきである。
問題点5:建設残土の処理計画に具体性がなく、地形・地質学的に危険な場所がある。
発生土置き場は、静岡県で7ヶ所が示されているが、山梨県では1ヶ所のみ、長野県では1ヶ所も示されていない。これは静岡県以外での発生土の運び先が決まっていないからである。処理場所が決まっていないのでは影響は予測できない。早急に残土処理計画を具体的に示すべきである。
静岡県域では二軒小屋から畑薙ダムにかけての大井川沿いの6ヶ所と、白根南嶺の奈良田越え付近の標高2,000m近い稜線直下の1ヶ所に置き場が計画されている。これらの発生土置き場は災害の要因として大きな問題がある。
南アルプスと同じ地質帯である紀伊半島南部では2年前の台風で大規模な深層崩壊が多数発生した。大規模崩壊で生じた崩壊物は対岸を数10メートルも跳ね上がり、多数の天然ダムを生じたことは各種報道でも明らかにされている。同じ地質帯である南アルプス地域でも同様の危険が想定される。南アルプス全域は中央防災会議で南海トラフ地震で震度6が予想され、1707年宝永地震では大谷崩れ、1854年安政東海地震では七面山崩れという大規模崩壊が発生している。川沿いに置いた発生土が土石流に巻き込まれれば災害を増幅することが想定される。とりわけ白根南嶺の標高2000m近い、河床から500mも上の稜線直下に発生土の置き場を作るのは崩壊の材料をわざわざ運びあげることになる。
同時に、主稜線の西側斜面である大鹿地域や、白根南嶺の東斜面である早川地域も、急峻なV字谷の地形であり、増水時の水位上昇も大きく深層崩壊の危険地域であり、景観上も好ましくないことから発生土をこの領域に残さないようにするべきである。
南アルプス一帯には、国立公園をはじめ、原生自然としての厳重な保全が求められる「大井川源流部原生自然環境保全地域」も存在する大規模な山塊の保護地域である。大規模林道見直しの契機となった南アルプススーパー林道(一般車両通行不可)以外の道路は存在せず、スーパー林道建設以降は、人為的インパクトを極力排除し、自然状態を維持してきた。大規模な山塊で、一般車両が通行できる道路・鉄道・トンネルが全く存在しない場所は、本州では南アルプス以外にはない。日本の生物多様性を支えるまさに屋台骨であり、後世に引き継ぐべき財産として、国立公園の拡大指定のみならず、世界自然遺産およびユネスコエコパークへの指定が見込まれている重要な地域である。
以上、今回公表された環境影響評価準備書を検証した結果、5項目の大きな問題点が指摘できることから、日本自然保護協会は本事業の一旦凍結と、路線決定段階からの議論のやり直しを強く求めるものである。
なお、今回の意見書は以下の専門家の方々の協力を得て作成したことを付記する。
岩田修二氏(東京都立大学名誉教授、地形学)
河本和朗氏(大鹿村中央構造線博物館、地質学)
取りまとめ 辻村千尋(日本自然保護協会、地理学・地生態学)