南三陸町 入谷地区で自然との「ふれあい調査」を行ってきました。(その二)
保護・研究部の朱宮です。
前回までの人と自然のふれあい調査を受けて、この調査を進めるメンバーで話し合った結果、入谷の暮らしは現在80歳代の方が小さかった頃、大正から昭和初期までからそれ以降で考え方が大きく変わってきたそうです。
大正~昭和初期以前は何でも自分で作っていた、あるいは採って食べることが当たり前だったが、それ以降はものを買って必要なものを満たすことが当たり前になっていったというのです。
買うという行為がそれ以前は自分で何もできない恥ずかしいことだったが、自分で作れなくても恥ずかしくなくなったのだそうです。
つまり、現在80代の方達は、ほぼ地域の自然からの恵みで暮らしていた最後の世代ということになります。そこで、まずはその時代の地域の暮らしぶりを掘り起こすためにこの80代の方々からお話を聞こうということになりました。その様子をお伝えします。
2014年4月8日
佐藤ちかよさんに「いりやど」に来ていただき最初のお話を聞く会が開催されました。特に入谷でたくさんのふれあいとして挙げられた食についてお聞きするという趣旨でお話をいただきました。当日は、地域の若い方々も参加しました。
以下は、いろいろあったお話の一部です。
●川でおかずを捕っていた話
私の家ではさ、おかずっていうと川のものが主食だったの。とにかく収入がないから買うお金がないからね。父親が暇があると川さ行くんだよね。籠持って。ザッコ(雑魚)っていう小魚。イリッコだのカンスカだの。昔いたから。田んぼの水引く所で梁(やな)作って、このテーブル二つぐらいの長さの竹で編んで、で入り口のところは広くして、止口の方はしぼまるようにして。そして、それあげた時に色んなザッコ(雑魚)が。ザッコ(雑魚)っていうんだよ、お魚の色んなのをね。アユもあればウナギもいて。
●お正月
私の時代は、年越しの晩に、麦の入れないご飯食べんのさ。年越しの晩にな。
お正月、元日は餅でしょ、年越しの晩には麦の入えんねえご飯。で、元日の晩にはあんこ餅、お雑煮餅、三種類作って、好きな、クルミとか何とか作って食べたのさ。その家庭によって3日あんこ餅食う家もあったし、3日お雑煮食う家もあったし、色々その家庭によって、食べ物が違ってたんだよな。
そんで、お惣菜、おかずは、その時は刺し身、それから、なんとかかんとか年越しの頭の付いたお魚買って、神様さあげて、食べた記憶があります。
みんな真剣に話を聞いていました。僕にとってもたいへん貴重な経験になりました。