南三陸町 入谷地区で自然との「ふれあい調査」を行ってきました。(その三)
保護・研究部の朱宮です。
2014年7月12日
今回は、武澤かきこさん(84歳)のお話。
前回の佐藤ちよ子さんからは食の話題を中心にお話いただきましたが、今回は人生の流れに沿って伺おうということで、次のような項目を年代に順にお聞きすることにしました。
①独身時代
②お嫁に来たときの入谷のようす
③当時の農業の様子
④当時の食の様子
⑤農業と食の移り変わり
⑥入谷のよいところ
お話しいただいた一部を紹介します。当時のお話を伺うと必要なものは何でも工夫して作っていたことがよくわかります。
●結婚前のこと
小学校はその頃は高等小学校って女学校さもロウダイの山の上の方だったから学校さ行くも何もできねかったわけね。ロウダイからサグマまでっていうと、歩っても行かれねえし自転車でも行かれねえから結局家にいて、農業の手伝いをしてたわけね。
その頃はあんまり会社だの何だのも、すぐ戦後になったから無かった。どこさも行って働くとこも無かったしね。で、そんなこんなしているうちに独身時代は裁縫の、和裁の稽古だの何かの忙しくない時ね、まあ10月の終頃から春先雪溶けて畑だのなんかさ、行く前には和裁の稽古するね。一応着物もね、縫えるようにはなったんだけどね。
その頃は、私たちが嫁になる頃は反物だのなんかもあまり無かったからねえ。私の着物は、おふくろが養蚕はやっとったからねえ。そんで、繭から糸を、おばあさんが糸とってね、おふくろが機織りしてね、そうやって着物も作ったわけだったのね。
●お醤油
その頃はね、醤油は家で作ったったね。絞ってくれる人があっちのマイヤの方に居たったからね、その人に頼んで。そうやってお醤油いっぱい、一年かけてつくった。
●お味噌
麹はやっぱり麹屋さんさ。麹屋があったからね、そこさに頼んだのね。材料ぐらい。大きい樽で作った。家族もその頃大勢だったからさあ。
一番多い時皆居たったから6人だね。でも入谷は7、8人が普通。多かったんだね。農家だからね。
●油
油もあんまりねえけどさ、菜種だのなんか作って、絞ったったね。家のじいさんが。
前にはこの辺で椿とかさ、色んなのアラヤのね、スズキさんのおじいちゃんの人がね、蒸かして絞って、それで立派な油できてね。実家の方からここまで絞りさ来たりしたことがあんのね。
大概はあの、蕎麦植えて菜種植えて、椿油って3種類作った。
カヤの実も。ただ木の実は効率悪いからあんまり皆やらなかった。機械にね、焼きつくんだね。椿油はよろこんで締めてるんだけど。木の実はちょっと