東日本海岸調査報告書が完成しました
東日本海岸調査報告書「震災後の海岸植物、海、そして人」(PDF/12.2MB)
東日本海岸調査からみえてきた海辺の自然
市民調査による海岸植物群落調査
2003~07年に調査した118海岸と、新たな調査地23海岸、合計141海岸(青森県から千葉県の太平洋岸)を延べ268人の市民の協力のもと調査しました。
津波は海岸そのものの形を変えた
そのうち、11カ所では、砂礫浜そのものが消失し、その原因の多くは、地盤の沈下と浸食でした。津波の引き波で、砂礫浜が浸食され、浜の縮小ですむ場合と、ひどいときは砂礫浜ごとなくなる場合もあったようです。またおそらく地盤沈下の影響だと思いますが、浜の内陸側に新たに後背湿地*ができた海岸は、20カ所ありました。
*後背湿地:海岸の砂丘や砂州などの背後(内陸側)に広がる低湿地。
堤防などの建造物の弱さを露呈
約60%の海岸で人工物の破壊が報告され、津波に対する堤防や護岸などの人工物の弱さも示されました。護岸や突堤、防波堤など、堅牢な建造物に限っても、それらの建造物の少なくとも60%以上に部分的な破壊が見られました。過半数の海岸で、コンクリート製の建造物が津波に耐えられなかったようです。
松林については、被害がほとんど見られなかった松林は約40%、一部松が残っているのが約20%、幹折れが見られたり根こそぎ流された松林は約30%となりました。松林は津波に耐えられれば防災に役立つかもしれませんが、幹が流されるとそれ自体がより大きな被害を引き起こす可能性があります。
松林があった場所が地盤沈下し水がたまっている海岸は約10%ありました。松林のほとんどが飛砂や潮害防止のためにかつて植林されたものです。人為的につくられた松林も津波には弱かったようです。
海岸植物は外来種が増加
海岸植物に対する影響は、今回の調査からはほとんど見られませんでした。今回の調査地点のうち118カ所の砂礫浜で震災前に調査が行われていました。それらの118地点で、指標とした34種の海岸植物の平均出現数は、震災前で7.32種、震災後で6.61種でした。
種数としてはほとんど変化はみられませんが、外来種と在来種とではやや違いがみられました。指標とした海岸植物のうち、外来種5種のみの変化は、震災前で平均出現数は0.44種であったのに、震災後は0.94種と大きく増加。一方、在来の海岸植物の出現数は、平均6.87種から5.66種と1種ほど減少していました。
植物群落RDB調査
希少な植物群落は消失を免れていた
青森県から千葉県までの沿岸の、植物群落RDB(レッドデータブック)*に記載された177群落(左地図ポイント地)のうち67群落が津波をかぶっていました。今回、それらのうち44群落の調査を行いました。植物群落RDBに指定された群落は、崖上の群落や社寺林が多く、津波の影響を受けて破壊あるいは消失していた群落はあまりありませんでした。
蒲生干潟をはじめ、河川の河口付近や凹地の塩沼地、塩生湿地などの群落は、一部に大きく変化していた群落もありましたが、小舟渡平などのように、ほとんど変わらない塩沼地もありました。
今回調べた範囲では、植物群落RDBに記載された群落のほとんどは、津波の影響を受けなかったか、受けても地形改変を伴わなかったため変わらず残されていました。
*1996年にNACS-Jが指定した、保護上重要な危機に瀕した植物群落のリスト。
ふれあい調査
東松島市、いわき市、八戸市、九十九里町、名取市、南三陸町の各地で「五感による自然とのふれあい」のアンケート・聞き取り調査を行い、160名から1000に及ぶ「海とのふれあいの記憶や思い」を集めました。
特徴的なのは、嗅覚や視覚を中心に、聴覚、味覚、触覚などの五感について、いずれも鮮烈な印象が多く挙がっていることでした。この鮮烈さは、地域の人たちの海岸に対する積極的、能動的な働きかけと密接に結びついています。
植物関係で、「ハナマスの実を食べた味、香り」「海藻の干し上がった時の独特の香り」「昆布をその場で食べた味」、動物関係での「タコが夏休みの時に捕れるんですよ。タコは食べた貝殻とかをね、自分の巣の周りに盛ってあるんですよ」「ウニを焼いたり、タコを焼いたり」「ハゼ釣りの舟」などの言葉は、海岸での採取活動であり典型的なマイナー・サブシステンス(遊び仕事)から出てきたものです。
また、「夏休みが来るとほとんど半日海にいた」「シロツメグサのくびかざり」など、海は子どもたちの純粋な遊びの場でもあり、「カキ剥き」「干物づくり」「イカ釣り船の出航風景、エンジン音」などの言葉からは、人間の生業の場でもあることが伝わってきます。
生業から遊び仕事、子どもの遊び、といった海岸での積極的で能動的な活動が、鮮烈な印象となって出てきているようです。全体的な印象の鮮烈さに関しては普遍的であり、具体的な営みに関しては、動植物の種類などの共通性がありますが、その営みのあり方に関しては、地域の多様性が出ています。
このような鮮烈な海岸とのかかわりは、「あんどん松はシンボルなので残してほしい」「私たち子どものころの貞山堀は、宝箱のような遊び場所でした」といった言葉からも分かるように、具体的、シンボル的な存在を今後も残して大事にしていきたいという思いにつながっているようです。
特に防潮堤などに関しては、下記のコメントのような思いも聞き取り調査であがってきています。このような地域の人達の思いを、今後の地域計画、特に復興計画に反映していくことが大きな課題です。
「堤防ができると、波も風も違う。砂がたまらなくなって、無くなった。昔は砂浜だった。」
「人間が自然災害を力で防ぐってのは、もう限界。むしろその中で上手に自然とどう付き合っていくかっていう、そういう考え方にした方がいい。」
「高い堤防つくると実は、海が見えなくなる。海が見えなくなると津波とかに気づかないで、逆に逃げ遅れたり、さまざまな問題が起きる。」
「20mある波を見て、自然を人間が止めるのは無理だと思った。あれ見た人は8.7mだとかの防波堤の発想は出ない。」
(東日本海岸調査委員会)