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自然保護からの脱原発宣言

2012.08.30
解説

著者:鬼頭秀一
東京大学大学院教授。愛知県生まれ。東京大学大学院理学系研究科 科学史・科学基礎論 博士課程単位取得退学。専門は環境倫理学。NACS-J参与。


3・11の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故は、自然保護の視点からも原子力利用というものが、自然保護が今まで目指してきたことと深く関係し、かつ自然保護とは相いれないということが改めて明らかになったように思われる。

その原発の「被害」とは何か、福島の現場を歩きながら明らかになったことをここで改めて整理して考え、書き記しておきたい。
 

「里やま」を根源から破壊してしまった原発事故

昨年の5月下旬、原発事故のため計画的避難区域に指定された福島県川俣町から浪江町、飯舘村を歩きながら、典型的な日本の里やまの新緑の美しさの中、さまざまな野鳥がさえずりながらも、人がまったく誰もいないという光景を目の当たりにした。まさに、別の意味で「サイレント・スプリング」である。

この「里やま」は人の営みがあってはじめて良好な生態系が維持できている。川俣町で阿武隈山系に「生きる」方から、「今年の山菜はうまぐねぇ」という言葉を聞いた。

山菜を採るという「営み」が単に食料資源のみならず、近所の人や子どもや孫、そして、私たちのような外部者に対して、もてなすもの、つまり非貨幣的な交換、相互扶助など、さまざまな人と人とを結ぶ絆そのものとして機能し、自然とかかわる重要な役割をしていたことに改めて気づかされた。

「里やま」を守るということは、そこの自然環境を守るだけでなく、「里やま」にまつわる私たちの暮らし、そして、そこにおける人と人との絆を守ることでもあった。

No529konomondai-kitou2.jpg▲2011年7月末にも訪れた飯館村。人の影はなく、田は草原と化していた

No529konomondai-kitou1.jpg▲川俣町や浪江町ではニホンミツバチの養蜂も盛んだった

そして、原発事故に由来した放射性物質汚染は、目に見えない形で、「里やま」における人と自然とのふれあい、人と人の絆を破壊してしまった。

放射線被曝は生態系のさまざまな生物にも確実に影響を与えることが予想されているが、健康被害に至る以前に、そこで暮らす人の暮らしのほとんどすべてを破壊してしまった。

里やまの「除染」など、気が遠くなる現実が横たわり、数十年にわたって「里やま」を破壊し続ける甚大な放射線被曝の問題を引き起こす原子力利用は、自然保護の視点からしても根本から再考せねばならない。

 

自然の「不確実性」をしっかり見つめるところにこそ「自然保護」がある

しかし、今回のような事故は起きる確率が低く、科学の進歩により安全な原発を生み出すことでこうしたリスクは解決可能だとして、原子力利用をまだなお続け、海外にも原発を輸出するという無謀なことを考えている人たちがいる。しかし、20世紀に高度に進歩したといわれる科学技術を持ちながらも、わたしたちを取り巻く自然環境には、科学の進歩では解決しないような根源的な「不確実性」があるということを、私たちは認識しはじめてきた。

今回の津波では、科学技術の粋を集めてつくった盤石と思われた堤防も、大波が軽く乗り越え破壊してしまった。このような事態の中で、科学技術の力で自然をねじ伏せ、思いのままにしようとする、近代の人間の自然との関係性のあり方は根本的に再考せざるを得なくなった。

技術はそもそも、限定された枠の中でしか不確実性を排除することができず、100%完璧な技術は原理的には存在しない。何らかの形で必ず「事故」というものと付き合う覚悟がなければ、「技術」を使いこなすことはできない。ところが原子力発電などの原子力利用の技術は、いったん事故が起こると広範で時間的射程の長い「被害」を引き起こしてしまう。存在し得ない「100%安全」を前提しないと存在してはいけない「技術」である。

人間が自然を思い通りにし、一方的な形で経済的な便益だけをそこから得ようとすることに対して、そもそも「自然保護」は、わたしたちの知らない自然の不確実な部分も含めてシステムとして全体を大事にしていかないとわたしたちの生活自体豊かなものにならない、ということを認識することから、活動が始まってきたのではないだろうか。

自然の持つ不確実性と真摯に向き合い、付き合うことの必要性が、「自然保護」の根幹にあったのではないか。その意味では、自然の不確実性を甘く見て、不確実性をなくさなければ成立しない原子力利用「技術」は、わたしたちが求めてきた「自然保護」の世界と最も対極にあり、あってはいけない「技術」なのである。

 

「地球温暖化」「持続可能性」を改めて考えてみる

それでも、「原子力発電によるエネルギー利用は、地球温暖化の切り札でなかったのか」「原発を止めていいのか。火力発電を稼働させることで、地球温暖化が進行し、生物多様性がより多く失われるのではないか」、そのような意見が多く聞かれる。

しかし、この考えは二重の意味で間違っている。原発は実際の発電の過程では二酸化炭素を出さないが、発電の過程に至るまでのウラン原石採鉱や濃縮などの核燃料生産や、使用済み核燃料の再処理、さらに、それらの過程で出た高レベル、低レベルの放射性廃棄物の処理過程で多くのエネルギーを消費し、二酸化炭素を出すだけでなくその過程にかかわる地域で自然に大きな悪影響を与える。

また、地球温暖化の問題は、そもそもわたしたちが化石燃料や核燃料など、地中に埋蔵している自然資源を野放図に使用して現在の生活を築いてきたことを根本的に見直さなければならないという問題であり、二酸化炭素さえ減らせば解決するということではない。わたしたちが現在のエネルギーの大量生産、大量消費に依存した社会からの大きな転換を進めなければならないし、そのことこそが「自然保護」ということで今まで私たちが主張してきたことであったはずである。

最低限「節電」という形で私たち自身の生活形態を見直し、エネルギーの集中生産、都市での集中消費から抜け出し、分散型エネルギー生産、消費社会を築き上げることこそが、地球温暖化を防止していくためのもっとも本質的で重要な方策なのである。

野放図な開発が中心的に行われそれに抵抗する形で存在していたときには、「自然保護」は、特定の生物種や生態系の保護を中心に訴えざるを得なかった。しかし、今や、「自然保護」は、そのような段階から、精神的な意味においても真の豊かさを実現するために、自然と良好な関係を持ちつつ、それぞれの地域で持続可能な社会を築き上げていくことを実現するための活動に、中心的な主眼が移ってきた。

その意味においては、エネルギーの地産地消につながるような分散型社会の中で、地域のエネルギー資源を再生可能な形で利用していくあり方こそが、「自然保護」の究極の目標となる。原発は、21世紀においては時代遅れの技術でしかない。そのような時代遅れの技術に、膨大な予算をかけて進めてきた「エネルギー政策」のあり方、「温暖化対策」のあり方こそ、今こそ見直されなければならない。

 

エネルギー利用と自然保護ーーー人間の未来にむけて

現在、再生可能エネルギーの固定価格買取制度が施行され、その制度の問題もあって、自然エネルギーなどの再生可能エネルギーは、一見バブルな時代に突入し、そのことが「自然保護」とさまざまな衝突を起こし始めている。自然エネルギーは、原発と比べると圧倒的にリスクは低いものの、さまざまなリスクが存在し、それらは人々の生活に悪い影響を及ぼす可能性や、生態系保全にもさまざまな問題をはらむ。自然エネルギーだからと無条件に進めるべきものではない。

そして、私たちのエネルギー利用のあり方を再考すること、利用の量を減らすことも重要だが、地域社会のさまざまななりわいや生活などとの関係の中で、エネルギー利用を特化して、そのリスクが特定の人たちに不公正に分配されることは防がなければならない。リスクを可能な限り小さくしていき、小さくなったリスクを地域社会のさまざまな活動の中で分散し、それをうまく分かち合える可能性を模索せねばならない。

一方、原発の再稼働をはじめ、3・11に際した多くの人たちの反省を無にするような形で、逆行したエネルギー政策が進められている。電力が足らないのではなく、電力会社の経営上の問題から再稼働が語られる異常な状況が続いている。現在、ただでさえ使用済核燃料が多く蓄積し、大量の高レベル、低レベル放射性廃棄物の処分に関して何も決まっていない中で、運転が続けばその廃棄物の量は増えるばかりである。

福島原発事故から広範に拡散された放射性物質の「除染」や、また、今後の廃炉も含め、放射性廃棄物の処分は未来世代に大きな負担を残し、今なお解決の見通しはない。再稼働によりさらなる廃棄物の蓄積を行っていくことは、さまざまな意味で、犯罪的でさえある。

持続可能な社会を構築し、持続可能なエネルギー利用をどのように可能にしていくのか。その中でしか問題を解決していくことはできない。「自然保護」は原子力発電などの原子力利用とは根本的に相いれることはない。直ちに「脱原発」を実施していくことしか、日本の未来は語れない。自然保護からの脱原発宣言である。

No529konomondai-kitou3.jpg▲2011年5月21日、川俣町


ご参考

NACS-Jの原子力発電に対する意見はこちら。

原子力発電はただちにやめ、廃炉・省エネ策の推進を!「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する意見(パブリックコメント)を発表(2012年8月)

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