木曾のヒノキ林を保護林にしよう。
昨年の会報『自然保護』11・12月号の特集(15ページ)に、長野・岐阜県境の木曾に残るヒノキを中心とした自然林を保護林にすべきという意見を掲載しました。7月3日付けで正式に意見書として、林野庁の長官、国有林野部長、そしてこの地域を管轄する中部森林管理局長宛てに提出し、森林生物遺伝資源保存林への指定を提案しました(意見書の全文はこちら)。
ヒノキは建材として最も有名で材価の高い有用樹です。そのため、この地域に広がっていた森は豊臣秀吉の時代から次々伐採され、今あるものは樹齢300年といわれるもので大規模な伐採後に自然の力で再生したものといわれています。樹種の寿命は1000年を超えるので、森としてはまだ若いのです。しかし近年も伐採が続き、最後に残った貴重なまとまりです。
(→助六と言われる場所の300年生のヒノキ林。(写真:小山泰弘))
木曾の森の特徴は、ヒノキだけでなく、サワラ・ネズコ・アスナロ・コウヤマキ・チョウセンゴヨウ・マルバノキといった種の起源が古い第三紀系の樹種といわれる植物からできていて、これらが単木でなく複数個体で群落をつくり、さらにそれらが集まり「温帯性針葉樹林」といわれる森林群集をつくっていることにあります。岐阜・長野県でも標高の高い場所や北海道の針葉樹林が有名ですが、これらは亜高山帯・亜寒帯針葉樹林で、森のタイプが別なのです。
「第三紀」は聞きなれない言葉ですが、第三紀とは、有史以前の地質年代の名前のひとつで、今から6430万年前から180万年前までの大昔の時代を指します。木曽の森の樹種が日本列島にはじめて現れたのは、約2000~3000万年前といわれるので、この時期に含まれます(コウヤマキやトウヒの祖先は、もっと昔の中世代までさかのぼるとも)。
今は第四紀といわれる氷期の間の短い温暖期で、環境が暖かくなったことにあわせて日本中の植生が移動しはじめたのですが、この木曾地域には古い時代に現れた樹種の森が残り、俗っぽく言えば「秀吉時代に生まれた”生きた化石の森”の子孫」なのです。
この場所を保護林にすることは日本の自然誌を記録した生きものの社会をひとつきちんと守ることになります。実現させたいと思います。
(写真は、過去に伐採され植林されたものの、育っていない造林地。)