『自然保護』2012年1・2月号 掲示板より
第32回東北自然保護の集い~森林資源の活用と脱原発をアピール~
『自然保護』2012年1/2月号 掲示板より転載
■from 東北秋田県自然保護団体連合 奥村清明
2011年9月10日、11日、秋田市で第32回東北自然保護の集いを開きました。3月11日の大震災を受けて、当初の予定を変更し、テーマを「東日本大震災からなにを学ぶか」としました。
10日は100人、11日は40人余りが参集しました。講演は2本。宮城県気仙沼市の被災者でもある、NPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤(はたけやましげあつ)さんの「三陸の被災の実態と今後の復興」と、原子力資料情報室共同代表の西尾 漠(にしおばく)さんの「福島原発事故の真実」でした。畠山さんは、漁民たちは海を恨むという感情はなく、三陸の海は背後の森の恵みで大地震後も豊かであり、地域の復興のために東北のスギ林を活用すべきと訴えました。西尾さんは、原発事故の収束は予想できず、内部被爆はあってはならず、20年前には脱原発法の制定を訴え330万名の署名が集まったことを教訓に、粘り強く脱原発を進めるべきと話されました。
その後の話し合いは、講演を軸にそれを補強し発展させる形で進められました。各県の報告では、政府はダム事業の見直しを訴えていたにもかかわらず、結局、岩手県の簗川(やながわ)ダム、山形県の最上小国川ダムは事業継続が決まり、秋田県の成瀬ダムも先行きが分からないなど、震災以前と政治が何も変わらないことが分かりました。福島県の報告では、原発事故については死活的な情報が隠蔽され、行政の出す放射線の測定値についても県民は信用していないなど、行政への不信が伝えられました。
集い終了後に、講師や参加団体と相談し、東北の豊かなスギ林を中心とした森林資源を活用すべきこと、脱原発を指向すべきというアピール文をまとめ、東北6県を中心とした自然保護団体や、平野達男復興対策担当大臣や東北6県の知事などに届けました。
<第32回東北自然保護の集い・秋田 アピール全文>
太平洋岸に住んでいた人々は、生活再建の展望も摑めないなかで、苦しんでいます。さらに、原発事故によって、強制的に故郷を立ち退かされた人々の悲しみと絶望の深さはいかばかりか、伝える言葉も見当たりません。大地震はいわば、地球の定められた動きの一つであり、「このことによって海を恨むなどという漁民は一人もいない」という被災者の言葉に現れているように、東北の人々は再建に向かって動きだしています。世界一豊穣と言われる三陸の海は、これまで漁民たちを中心に築かれてきた背後の豊かな森によって支えられてきました。この故郷の自然があるかぎり、生活は再建できるという確信が生まれています。しかし、原発事故は明白な権力による犯罪によって引き起こされたものです。
「国策民営」という言葉のごとく、日本の原子力発電は湯水のように国民の税金を注ぎ込んで、地方自治体、学界、マスコミの一部を買収し、一切の批判を封じこめ、いわゆる原子力ファシズムの体制で驀進してきました。日本の原子力開発の3原則である、自主、民主、公開など一顧だにされてきませんでした。今回の福島の事故がどう収束されるのか、専門家でさえまったく想像もできないという時期にさえ、政府は原発の再開をもくろんで動きました。ヒロシマ、ナガサキの惨禍をなめさせられた日本人が、またもフクシマを、なぜと世界中の人々が驚愕しています。日本のみならず、世界中に放射能をまき散らし、アメリカとフランスに次いで、太平洋を放射能で汚染してしまった日本。放射能によって生態系は破壊され、人間のみならず、あらゆる生き物が危機にさらされました。原発は「命」と共存できません。
われわれ東北の自然保護運動に携わってきたものが、この秋田の地に集い、東日本大震災と今後について話し合いました。その結果、以下の2点をアピールとして出すことにしました。
1点は、今回の災害からの再建のために、東北の豊かな森林資源、とくに杉林を活用すべきということです。それは、地元の産業活動を活発化させ、森の再生にもなり、雇用の増大にもつながります。
2点目は、脱原発を指向すべきだということです。原子力発電所をいますぐ全廃しても、日本の電力供給は可能です。わずかな電力を原子力で生み出すために、日本の子供たちの未来を閉ざすことはできません。日本は、核技術とキッパリと縁を切って進むべきです。これは、数々の自然災害、戦争をくぐり抜けて生きてきた先人、これからの日本を背負う子供たちにたいする、われわれの責務です。
2011年9月11日
第32回東北自然保護の集い・秋田