特集「生物多様性への道のり」その7 群落として捉え・守る
生物の多様性へ
60年代からの開発は、山地ばかりでなく海にも向かった。新全国総合開発(新全総)により、太平洋ベルト地帯にあった干潟は、埋め立て・石油コンビナート建設が相次いだ。
1979(昭54)年には、沖縄県石垣島の新空港計画が持ち上がった。空港予定地が白保地区に決まると、サンゴ礁生態系が破壊されるため、集落住民を中心に建設反対運動が沸き起こった。
これには、さまざまな主体が独自の活動を行ったが、IUCNは1987(昭62)年から2回にわたるサンゴ礁調査と社会経済的評価は、アオサンゴの貴重さと人々との生活のつながりの重要性を世界に知らせることとなった。新空港計画は予定地を陸地に変えて今日も続いているが、この貴重なサンゴ礁を守るには人々の生活も含めた沿岸の生態系全体が保全されなければならないことがわかってきている。
日本自然保護協会は、このIUCN調査に対し資金面と技術面から協力するとともに、独自に「新石垣空港建設計画に伴う白保サンゴ礁生態系の変化予測」調査を行った。奄美大島で、すでにさんご礁を埋め立てて建設された新奄美空港による生態系への影響を調べるとともに、白保サンゴ礁がどのような生態系ユニットで成り立っているかを調査分析した。白保サンゴ礁を、”美しくて貴重さアオサンゴ”のある場所としてだけではなく、サンゴ礁生態系ユニットとしてとらえたことは、日本自然保護協会にとって、90年代以降のキーワード、「生物多様性」へのワンステップになったといえる。
「生物多様性」という言葉・概念は、1988(昭63)年のコスタリカIUCN総会で華々しく登場したが、その時点ではまだアフリカの哺乳類や鳥類など絶滅種への危惧から種レベルのみので考えられていた。その後、1.種以下のレベルの遺伝的多様性、2.種以上のレベルの分類群の多様性、3.一つの生態系の中の立地の多様性、という3つのレベルへと概念が広がっていった。
自然保護の概念やキーワードは時代によって変化する。守ろうとする対象も、原生自然の景観、ブナ原生林、絶滅しそうな種や群落、人と共存してきたサンゴ礁や里山……というように変わってきた。守るべき対象を広げる闘いだったともいえる。
しかしよくよく考えてみると、尾瀬の湿原そのものを保存しようとした出発点から、生物多様性というキーワードを手にした現在に至るまで、守ろうとしてきたものは一貫して、この世界と私たちの生存そのものに豊かな基盤を提供してくれる自然全体であった。自然保護のあゆみは、自然のもつその尊さを科学的に裏づけ、さまざまな言葉で言い変えてきた軌跡だともいえる。
私たちは今、そういった大きな歴史の流れを括る「生物の多様性」という豊かな言葉をもつことができた。はからずも協会の歩みと同時進行的だった日本の自然保護のあゆみは、はじめからこの「生物多様性」へと向かう道のりだったのだと理解することができるのではないだろうか。
(保屋野初子)