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特集「生物多様性への道のり」その3 「国立公園」を広げたい

2001.04.01
解説

原生的自然の「価値」<プロテクション>


 

尾瀬問題は「国立公園問題」でもあった。日本の国立公園は戦前の1934(昭9)年に制度化され尾瀬も指定されていたが、そこにダム計画が持ち上がるような脆弱なものだった。戦後復興を急ぐ国・産業による電源開発や鉱物資源開発が国立公園内に次々と現われた。

日本の原自然が残る心臓部が破壊される危機に対抗する本格的な自然保護団体が必要となり、1951(昭26)年、尾瀬保存期成同盟は日本自然保護協会に発展的に変身することになった。その規約には「わが国土の至宝である原始的な自然美を、心なき人々の破壊から護るべく発足することとなったのである。正にわが国風景資源上特筆すべきこと」とある。日本最初の自然保護団体を生んだのが、弱い「国立公園制度」だったことは皮肉だ。

そもそも国立公園制度は19世紀末、アメリカでイエローストーンが第1号に指定されて以来、欧米中心に定着していった。その思想は原生自然にかけがえのない価値を認めてそのまま残そうというもの。そこには「神が創った自然」という一種の宗教観がにじみ出ているが、日本人にもなかったわけではない。最初に尾瀬に住みつき終生保護に尽くした「長蔵小屋」の平野長蔵は、「山岳河川は政府政党資本者の創作建設せし遊戯物にあらず之自然の大霊の産だ大宝庫である」と記している。

国立公園法は1949(昭24)年に一部改正され「特別保護地区」が設けられたが、その面積は非常に小さく、欧米並みの制度を確立して日本の原生自然を残したいというのが、スタート時の日本自然保護協会の理念となった。日本の自然保護運動は、世界的に普遍性のある思想を実現しようという理想型のものとして出発したのだった。

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