絞り込み検索

nacsj

【特集】川とつきあう2:洪水がもたらす恵み

2000.07.01
解説

会報『自然保護』No.448(2000年7・8月号)より転載


 

洪水といきもの

洪水がもたらす恵み

人と川との距離は、近ごろどうも離れぎみだが、川とともに生きてきた動物や植物には、その生活の中に、川の特性がしっかり組み込まれているものがある。

人間にはちょっとばかり不都合な川の特性も、川の豊かさと表裏一体ともいえそうだ。

特集川とつきあう-4.jpg

 

生活のリズムに「増水」を組み込んだ魚たち

魚は洪水にのって移動する

魚たちは洪水など水の増減を利用してさまざまな水域に移動し、自分にとってより有利な生活を成立させてきました」。

環境生態学を研究する東京水産大学水産学部助手の丸山隆さんは、川と魚の関係をこう説明する。そして川は、本流だけで成立するのではなく、支流や細い水路、湿地、湖などが全体として川の自然を形成している点が重要だという。なぜなら、増水によって魚たちはそうした他水域への移動のきっかけを知り、狭い水域へも、より安全に入り込めるからだ。

洪水と魚の関係が端的に表れているのが天然記念物のミヤコタナゴ。今では、細い水路や農業用水路にすむこの魚は、カエルなどと同様、大きな川の氾濫原にできる大きな池がもともとのすみかだった。同じ天然記念物のイタセンパラは、増水を利用してすごいことをやってのける。秋の台風のころ、増水で標高の高いところにある湿地に水がたまると、そこに入り込んで貝に卵を産みつける。泥の中で貝が越冬する間、卵は孵化をストップし、春、水たまりが復活して貝の活性が高まると、孵化を始めて大きくなり川へと下っていく。

アユは自然を反映する産物

渓流魚のアユも、夏を上流から中流で過ごし、秋には増水にのって下流に下って産卵し、海と川を行き来する。きれいな水を好むアユにとって増水はほかにも大切な役割を果たしてくれる。アユは欲ばりな魚で、餌となる珪藻が自分の食べる量の4、5倍もあるような広いテリトリーをもつ。増水は、このアユの食べ残しを片づけてくれるのだ。増水で石がこすれ合って研磨剤のように働いて古くなった珪藻を削り取るので、つねに新鮮な珪藻がつくようになっている。

もし増水が起らないと、過熟した珪藻を嫌うアユは代わりに虫を食べる。また、自然の川では、増水が起ることで石に積もった泥や有機物が取り除かれ、この後澄んだ水で洗われるが、周囲が裸地だと流れ出した泥が石にへばりつき、アユはこれを珪藻といっしょに食べてしまう。

アユは、川のまわりの自然全体を反映する産物なのです。土産物などで売っている、アユのうるかをご存じですか。珪藻を食んだアユの消化器官からつくる『にがうるか』は、酒の肴に合う塩辛に似た食べ物ですが、本当にきれいな川でないと砂などが混じっておいしくないんです」。

各地の川に出かけても最近は、おいしいうるかにあまりお目にかからなくなったと丸山さんは残念そうだ。さらに、この4、5年、アユの不漁が続いているという。近年、渇水が続いたため増水が少なく、スムーズな移動ができなくなった。また川の途中に堰がいくつもできた結果、せっかく産卵場所に到達してもが石が汚れていて産卵できなかったりする。

そして最後の難関は河口堰。アユの仔魚は孵化から数日以内にエサの豊富な汽水域にたどり着かないと養分が尽きてしまう。しかし、河口堰では大量の取水をするため水の流れは遅く、運が悪いと取水口に吸い込まれてしまうこともある。アユの移動の困難さは、現在の河川問題そのものなのだ。

自然が残るところから回復しよう

ダムや堰、河川工事などで原形をとどめないほどズタズタになった日本の多くの川にすむ魚は、もはや回復が不可能なのだろうか。

そう悲観したものでもありません。日本の上流から中流にすむ魚はきわめてタフなんです。もともと、地形が厳しく水位の増減が激しいところで何万年も生き残ってきた魚ですから。かなり悲惨な川でも、人の手で簡単な産卵場所をつくってやるだけである程度の数は確保できます

自然の繁殖力がまだ残っている川から魚を増やしていこう、と丸山さんは提案している。鬼怒川(栃木県)では、上流にいくつものダムが並び、途中、川に水が流れていないような状態にもかかわらず、かなりの渓流魚の生息が確認された。本流から切り離されていた支流を回復し産卵場所をつくったところ、毎年8000粒のイワナの卵が確保できた。数人が石と砂利と丸太を使って1日作業するだけで、効果てきめんだそうだ。

丸山さんは、「洪水」ではなく、あえて「増水」と言いたいという。「洪水」というと人間にとって害を及ぼすイメージがつきまとうが、「増水」なら川の流量が通常以上に増える純粋な自然現象だからだ。多くの生物種は、増水をある一定間隔で起きる自然のリズムとして生活の中に組み込み、生活それ自体を成立させてきた。

その意味で増水は、自然においては一つの資源なのだ。生物は、脆弱な時期が増水期に重ならないように長い時間をかけて調整してきた。増水は、破壊的な面もあるけれども、それゆえ不安定な環境につくり変えることで生物の限りない生産性を引き出してきたのである。

 

生き残れ!カワラノギク

洪水は、種を増やす好機

日本の川の多くは急流で水量の変化が大きいため、中流には礫質(こぶし大の大きさ)の丸石河原が広がっていることが多い。こうした場所は、夏や冬に乾燥が激しく、栄養が少ないのが特徴だ。丸石河原という厳しい自然環境で、洪水をむしろ積極的に利用することで生き残ってきたのが、丸石河原の固有植物カワラノギクだ。

カワラノギクの個体群は一カ所の生育地にずっと存続することはなく、時間とともに衰退していき、ススキなどにとって代わることがわかっている。そのため、洪水によって競争関係にある他の植物が押し流されて裸地ができると、ここぞとばかりに種を根づかせ新しい個体群を形成する。大きな増水は、石と石とのすき間に入り込んだ砂を洗い去って、種子が定着しやすくしてくれる。こうして、それまでの個体群は流されたりして消滅しながらも、洪水後の裸地に新しい芽を出し、新しい分布地図をつくっていくのだ。

「絶滅の渦」にはまったのか?

このなんともユニークな植物は、残念なことに、今では「絶滅危惧IB類」の絶滅危惧種に指定されている。これまでも減少を続けてきたが、この数年、著しく数が減り、現在生育が確認されている三河川のうち2つでは、地域個体群の絶滅も危惧される状態になってしまった。

 「そのひとつ、多摩川では1991年には45000株を数えたカワラノギクが、99年の秋の開花時期にはたった950株になってしまいました」。

調査を行っている明治大学農学部助教授の倉本宣さんが最初の異変に気づいたのは97年。それ以前は見られた増水後の裸地への定着が、この年を境にめっきり見られなくなったのだ。これほど減ってしまうと、受粉を媒介するオオハナアブなども花を見つけにくくなり、ますます増えにくくなる。

これが、加速度的に減少がすすむ「絶滅の渦」という現象なのか。とりあえず絶滅そのものは免れようと、多摩川中流域の数カ所では地元住民のグループが種や苗を植える活動を行っているが、これだけでは十分な策とはいえない。「当面する絶滅の危機を乗り越えて、かつての生育地の環境とカワラノギクを回復するための具体策を講じるタイムリミットが近づいています」と倉本さんは指摘している。

特集川とつきあう-5.jpg▲カワラノギク(写真・倉本宣)

(島口まさの)

前のページに戻る

あなたの支援が必要です!

×

NACS-J(ナックスジェイ・日本自然保護協会)は、寄付に基づく支援により活動している団体です。

継続寄付

寄付をする
(今回のみ支援)

月々1000円のご支援で、自然保護に関する普及啓発を広げることができます。

寄付する