第3次海上の森・万博問題小委員会調査報告書(鳥類)
『海上の森南地区博覧会場が自然環境に与える影響』
~NACS-J保護委員会/第3次海上の森・万博問題小委員会調査報告書~
愛知県が新住事業と名古屋瀬戸道路の計画を撤回した。自然遺産としての”海上の森”の貴重さからすれば当然の帰結だが、一度立案したことは面子にかけて押し通すのが通例だった日本の行政機関としては、画期的な対応といえる。ここにいたるまで国際博との間で苦しみ抜かれた神田知事はじめ、関係者の誠意と努力に敬意を表したい。
しかるに新住中止になった海上南地区を、なおも博覧会会場として使おうとするとは、何と非常識な態度だろう! 新住や名古屋瀬戸道路が心ある多くの人たちに反対されてきたのは、住宅や道路作りそのものが否定されたのではない。止めなければならないのは、それらの事業によって、一帯の貴重な自然が回復不能なまでに破壊されることなのだ。事業が新住であれ国際博であれ、自然破壊が行われる点では大同小異である。
海上地区の自然が豊かな証拠として、生息する野鳥の種の多さが挙げられる。県内でよく探鳥会が行われる数地点での記録を比較すると表1のようになる。野鳥の種数は東となりの猿投山。北となりの岩屋堂を含め、どの地点より海上地区で多い。
海上地区を「どこにでもある平凡な里山に過ぎない」と前知事の鈴木礼治氏は言われたが、野鳥の生息状況から見る限り、ここはそのような里山ではない。種数が豊富な理由は他地点にはない環境の多様さにある。起伏の多い複雑な地形の上を程良く植生が覆い、中に湧水、湿地、小川、池からなる豊かな水系が発達して、鳥の生活に不可欠な水場、餌場、避難場所、ねぐら、営巣場所等が至る所に存在している。その環境要素の違いは、上記の各探鳥地を直接訪れてみるとすぐに解ることである。
北地区でオオタカの営巣が発見され、そこさえ会場から外せばよいと博覧会協会は考えているようだが、それは全くの認識不足である。守るべきは「オオタカ」ではなく、「オオタカの生息を支えている豊かな生態系」である。協会が会場にしようともくろんでいる南地区は、コナラ、アベマキの高木に覆われた谷間をせせらぎが流れ、海上地区でも最も魅力的な地域の一つである。絶滅危惧II類のサンショウクイや、近年全国的に減少の傾向が目立つサンコウチョウが繁殖しているほか、初夏の頃にはコマドリ、コルリ、クロツグミをはじめ、キビタキ、オオルリ、センダイムシクイ、エゾムシクイ、メボソムシクイ、ヤブサメなどをほとんど毎年観察することができる。最近都市周辺では激減したヨタカや、世界的に絶滅が危ぶまれるミゾゴイの生息も、この南地区で確認されているのである。
そのほかオオタカがこの地にも生息し、1995年には赤池奥で繁殖もしている。その生息を保証している低次栄養段階の種類の豊富な点では、南地区は北地区に勝るとも劣らない。
博覧会協会はいとも安直に「自然環境に配慮しながら」と言うが、標高差のあるこの土地に3つ以上のパビリオンを建て、幅30メートルの道路を作って、どのように「自然との共生」を図ろうというのだろう?
BIEも、決して跡地が住宅になることだけを懸念しているのではない。野鳥が豊富なばかりでなく、都会に近く、市民が自然に親しむ場として重要なこの地を会場とする案は、関係者がいかに努力しようとも、BIEを納得させることなどできないだろう。
“自然との共生”を目指すならば、博覧会は南地区から撤退する以外にないことは明白である。
“自然の叡知”、”自然との共生”などと表向きは唱えながら、博覧会関係者には自然を学び理解しようとする努力が認められない。冒頭に述べた愛知県知事の決断、さらには”藤前干潟”で博覧会よりはるかに必要度の高いゴミ処分場の建設を断念した名古屋市長の英断を見習うべきである。そしてそれらの決断が世界各国から高く評価されている現実にも謙虚に目を向けてほしい。
(表1)記録された野鳥の種数
地区名 | 種数 | 調査期間 |
瀬戸市海上地区* | 121種 | 1991~96(5年間) |
名古屋市東山公園* | 88種 | 1974~90(17年間) |
名古屋市平和公園* | 84種 | 1987~93(6年間) |
瀬戸市猿投山** | 62種 | 1976~83(7年間) |
瀬戸市岩屋堂** | 80種 | 1976~88(12年間) |
足助町香嵐渓** | 77種 | 1976~88(12年間) |
犬山市東大演習林** | 84種 | 1976~88(12年間) |
* 日本野鳥の会等の調査による
** 愛知県の調査による
注) 瀬戸市海上地区で記録された野鳥は1999年には130種を超えた