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「自然」は新しい言葉(やさしくわかる自然保護2)

2000.03.27
解説

月刊『自然保護』No.426(1998年5月号)に掲載された、村杉事務局長による自然保護に関する基礎知識の解説を転載しました。
自然保護に関する考え方や概念それに用語など、基礎的なデータベースとしてご活用ください。各情報は発表当時のままのため、人名の肩書き等が現在とは異なる場合があります。
やさしくわかる自然保護 もくじ


「自然」は新しい言葉

前回は身の回りに普通にあるものは認識されにくい、ということを述べた。

それは今も昔も変わらない。私たちの祖先は自然の中に溶け込んで生きてきた森の民であった。周囲の木も草も、当たり前の存在であり、それらを総じてとらえる必要性は特になかったのだろう。昔の日本には、今私たちが普通に使っている「自然」という言葉はなかったのである。

「自然」がNatureの意味で使われたのは、明治も終わりになってからである。ちなみに江戸時代までの「自然」は「おのずと」とか「万一」という副詞として使われていた。「自然」という語の登場について、相良亨氏は「山川草木を<おのずから>そこにあったものとして捉えていたからNatureの翻訳語が”自然”となったのだろう」といっている1)。周囲の自然をおのずからそこにあるものとして、特に意識しなかったという、かっての日本人の自然観が「自然」という言葉を生んだことになる。

さて、この「自然」、その後はどうなったのだろう。手元にある昭和生まれの辞書2)では、「自然」は「人間を含め、山川・草木・動物など天地間の万物」となっているのに対して、平成生まれの辞書3)では「1.天体、山川草木、動物など人間社会をとりまき、人間となんらかの意味で対立するすべてのもの。2.広義では人間そのものを含むことがある」となっているのだ。かっての日本人の思考の中にはほとんどなかった「人間を自然と対立させて考える」という西欧的な自然観のほうが、今や「人間は自然の一部」という日本的自然観より優位になった。言葉の変化は人の心の変化のあらわれである。

そういえば最近特に目にする言葉のうち「自然保護」もそうだが「自然に親しむ」「都会には自然がない」「人と自然の共存」という場合の「自然」には人間は含まれていない。「自然の一員としての人間」という表現などは、人間も含んだものとして「自然」を認識させたいためにわざわざ「自然の一員として」という断り書きを入れている。一方、「自然科学」とか「自然の営み」という場合の「自然」は人間を含んだ全体という意味として理解できる。これらのどの表現もあまり違和感なく聞こえるのは、どうやら私たちは2つの意味を、その場その場で使い分けていイメージしているようだ。

なんとも曖昧な話ではあるが、これも「自然」が明治生まれの新しい言葉であることと関係が深い。

(村杉 幸子・NACS-J事務局長)

<参考資料>
1)『日本の美学3』 ぺりかん社 1987
2)『広辞苑』 岩波書店 1955
3)『新明解国語辞典』 三省堂 1991
『大辞泉』 小学館 1995

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