「生物干潟の持つ大きな力を失わせたくない」
会報『自然保護』No.424(1998年3月号)より転載
自然の実態がわからなければ埋め立ての影響はわからない
いま愛知県名古屋市で、渡り鳥が日本で一番多く利用している干潟を、ゴミ処分場にするために埋め立てようという計画が、現実のものとなろうとしている。
約1年半にわたって、藤前(ふじまえ)干潟を埋め立てることによる環境への影響を予測・評価する検討作業が名古屋市のアセスメント審査会で行われてきた。しかし、人工干潟をつくるなどの対策をいくつかとることで埋め立ての自然への影響を回避するという結論が出され、それに基づいて事業がすすめられる可能性が大きくなった。
これまでこの問題に対して、NACS-J会員をはじめ地元の方々が、15年以上にわたって自主調査・観察会(本誌97年5月号参照)・意見の発表などの取り組みを続けてこらた。NACS-Jでも、本誌で全国にこの問題を紹介、プロ・ナトゥーラ・ファンドで活動・調査の資金援助、ラムサール条約締約国会議では共同アピールを発表するなどの活動を行ってきた。名古屋市では市民による緊急集会も開かれている。この危機に対してNACS-Jでは、名古屋市・愛知県の関係部局に保護部長名で緊急要請書を発表した。
埋め立てを急ぐまえにやるべきこと
名古屋市では、現在使用中のゴミ処分場がいっぱいになることなどを理由に、事業を進める必要を強調し、不足する調査は事業をすすめながら行うとしている。しかしほかの自治体で行われている処分場の延命工事やゴミ減量対策すらなされていないようでは、埋め立てを急ぐ理由にはならないはずだ。影響のわからない埋め立てを強行することは、次世代に対して、けっして許されることではない。
(志村智子・『自然保護』編集長)
解説「藤前干潟を守ろう」
日本の干潟は急激に破壊されてきた
NACS-J保護研究部では、愛知県の藤前干潟をゴミ処分のために埋め立てる名古屋市の計画に対し、2月10日付で緊急要請書を提出した。
日本における干潟の減少は著しい。環境庁の調査によると、1945年以前は全国に82,621ha存在していた干潟が1978年には53,856haとなり、この間に35%もの面積が失われた。
近年では、1965~69年に7,432haの減少(毎年約1500ha減少)、1975~79年に1,485haの減少(年約 300ha)、1979~92年に4,076haの減少(年約300ha)であった。干潟減少の理由の43.5%は「埋め立て」である。
名古屋港でも、1964(昭和39)年当時と現在を比べると、見かけ上の干潟面積は約8分の1程度にまで減少している。さらに河口部に残った干潟をゴミ処分場として埋め立てると、名古屋湾に残された最後のまとまった干潟がなくなることになる。
環境庁はこの藤前干潟をラムサール条約の登録湿地にするために、国設の鳥獣保護区の指定を名古屋市に働きかけたこともあったが、そっけなく断わられてしまった経緯がある。
生物干潟の持つ大きな力を失わせたくない
干潟という自然を日常の生活で意識する人は少なく、失う実感もわきにくい。しかし、藤前をはじめとして、干潟の損失はあまりにも大きい。
川から海に注ぐ水を浄化するゴカイなどの生物がいなくなり、この干潟をかけがえのない生息地として定住するアナジャコ類などの野生生物は消え、魚類や甲殻類、シギ・チドリ類に代表される、干潟を利用する移動性の野生生物の生息環境がなくなる。その結果、ヒトと干潟の関係はさらに貧困になっていく。
干潟には生物を育てる大きな力がある。いま名古屋市では、これらを失う悪影響を過小評価し、科学的な議論をせずに事業をすすめる判断を下そうとしている。これは、次世代に豊な自然環境を残していくことを定めた、ラムサール条約や環境基本法などの存在を無視する行為に等しい。
総合的な判断のためにはあらたな検討機関が必要
2月12日の名古屋市のアセスメント審査会では、さまざまな議論が続いているにもかかわらず、答申がまとめられてしまった。
その中では、「環境への影響は明白」という記述がある一方、計画は認めるという矛盾した答申になっている。ゴミ処分場の期限が迫っていることを理由に、今後も十分な科学的検討がなされないまま可否の判断が下されるおそれが極めて高い。
アセスメント準備書では十分調べられていないため、影響を判断できないとされた春季の渡り鳥の詳細な実態も、計画をすすめながら調べるとのことである。しかし、調査結果が事業に生かされる段階で実施しなければ自然保護には役立たない。妥協案として人工干潟つくりも出されているが、干潟がもつ機能や、長い時間をかけて育まれた個性的な生物群集のもつ歴史性は、造成地では代替できない。
藤前干潟はかけがえのない自然である。この干潟の運命についてどのような判断を下すにせよ、判断を下す者にはその判断の根拠と結論に至る過程を国民に説明する義務がある。千葉県では、東京湾三番瀬の埋め立て計画をめぐり、専門家による「環境会議」を設けて検討をゆだねている。名古屋市でもこのような機関を設けるべきであり、環境庁も干潟を保護すべきと考えるならば、このような機関を自らつくる、ないしはその実現を働きかけるべきである。そのうえで、その結果を正しく反映させた判断が下されなければならない。
(横山隆一・保護研究部長)